真の独立国家

1. はじめに

 私は団塊の世代で、戦後昭和23年に岡山県で出生しました。先日、家内と一緒に懐かしい小学校・中学校・高校を訪問しました。校舎は建て替えられ新しくなっていましたが、小学校の玄関脇に立つ二宮金次郎の銅像は残っておりホッとしました。
 私は歴史が好きで、特に日本史の本を多読してきましたが、私たちの学生の頃の授業では、昭和史はさらっと流された記憶があります。

2. 令和の米騒動

 小泉農水大臣になって米の値段は少し下がったようですが、古来より災害の多い日本では、新米収穫後は2年分保管し、古々米を食べてきたそうです。日本には8万社以上の神社がありますが、そのほとんどが高台に建っています。神社に保管した米を水害から守る為でした。皆さんは仁徳天皇の民のかまどの話をご存知ですか?かまどの煙が上がっていないのを見た天皇は、税の徴収を3年間免除したそうです。歴代天皇・権力者は主食の米の確保に注力してきたわけです。戦後の民法改悪により長子相続制度が崩れました。結果として1軒当たりの耕作面積がどんどん小さくなり農家は零細化しました。昔から日本では田を分ける者を田分け者 (たわけもの)、逆に田を寄せる者を田寄りになる者 (頼りになる者) と呼んできました。
 今や人口減少に伴う空き家が問題となっています。さらに、日本の食料自給率はカロリーベースで38%まで落ち込んでしまいました。世界人口はどんどん増えており、気候変動が続く中、食料危機のリスクが高まっています。今の日本人はお金を出せばなんでも買えると思っていることが、一番のリスクだと思います。

3. NHK特集 国債の消化

 先日NHKの特集番組を見て唖然としました。国債を新規発行して外国に購入してもらうのがいかに大変かを国民にアピールする内容でした。日本国債はそのほとんどを子会社である日本銀行が購入しているのは誰もが知っています。日本人はお上の言うことに従います。敗戦後は「お上」が日本政府からGHQ、やがてアメリカに移りました。
 日本の弱体化を狙うGHQのプレスコードが今でもトラウマになっています。日本のメディアは画一的な情報を流し続けた結果、国民の側で情報を見極める力が育ちませんでした。日本ではどのテレビ局を見てもニュースの内容は同じです。そもそも新聞社がテレビ局を持っていること自体が問題です。相互チェック機能が働かなくなるからです。大手メディアは霞が関にある記者クラブでお上から情報をもらい、間接情報を流しています。実体験を伴った直接情報の入手こそ、マスコミ本来の使命です。上から言われた通りにする日本は、今、アメリカの言うとおりにする国になっています。表面上は良い顔をされますが、心の中で日本は見下されていると思います。真の独立はノーと言える日本になることです。実力をつけ、対等なパートナーシップの関係にならないと、その下で育った子供たち・孫たちがひ弱になっていくのが 心配です。

4. 不登校児童35万人

 いま、日本の小中学生で年間30日以上欠席し不登校の状態にある児童は約35万人いて、年々増加しているそうです。
 江戸時代末期に来日した外国人は、日本人の識字率の高さに驚いたと言います。そのころ、何と2万以上の寺子屋があり子供達が学んでいました。
 今の教育制度との違いは、1つの教室に上級生と下級生が同席し、先輩として下級生を教える役目を経験していたことです。教わるよりも教える方が多くの学びを得ることを知っていたのです。師匠は社会に出て役立つ読み・書き・算盤を学ばせ、人の道があってこそ人も社会も成長する、と人間教育に注力しました。寺子屋では、卒業する先輩は、入塾してくる後輩に教科書を書き写した本を手渡し、親が子供のレベルに合わせて塾を選んだそうです。卒業生に優秀な人材が多いほど人気が出て生徒が集まり、うだつの上がらない寺子屋は自然と干されました。
 人間は生まれながらに不平等な状態で出生します。本当の平等とは機会の平等です。一時流行ったゆとり教育は、聖職者としての教師の尊厳を捨てた日教組による日本人の愚民化であり、彼らの結果の平等主義で優秀な生徒の排出を阻んでいます。持って生まれた本来の能力を引き出し自立することを教えるのが教育の目的であることは、昔も今も不変です。

5. むすびにかえて

 今トランプ関税で騒いでいますが、日本が関税自主権を回復したのは、何と1911年でした。明治時代は1912年に終わり、不平等条約の解消に半世紀かかったことになります。今やアメリカ国内が分断化し国力が衰退している状況下で、国家間の力のバランスが崩れつつあります。相手を屈服させる力とは武力・財力・情報力です。政府の仕事は国民が安全に安心して暮らせる世の中にすることです。パワーバランスが崩れた世界では、力が正義になります。皆さんは米百俵の話はご存知だと思います。戊辰戦争で敗北した長岡藩に救援物資として米百俵が送られましたが、その米を藩士に分配するのではなく将来の人材育成に役立てることにしました。結果として、明治以降多くの人財を輩出し長岡の発展に寄与しました。
 まずは日本人としてのプライドと誇りを持つことからスタートです。明治の人が多大の犠牲を払って不平等条約の解消に注力したように、令和の時代に生きる我々は、日本を真の独立国にたて直し次の世代にバトンタッチするスタート地点に立っています。